ボーヤン・ジン インタビュー記事

NBCスポーツにてボーヤン・ジンのインタビュー記事を発見。
なかなか。。。。。振り回されていて可哀想ですね。。。
がんばれ!!ボーヤン!!




2016年と2017年の世界選手権銅メダリストの、中国ボーヤン・ジンは、男子フィギュアスケート界を「真・四回転時代」に導いた最初の「四回転軍」の1人だ。クアドルッツートリプルトゥのコンビネーションを初めて成功させたのもボーヤン。

平昌オリンピックでは四位と、中国人として初のフィギュアオリンピックメダリストまであと一歩のところまで迫った。
しかし、その次の年は彼にとって悪夢になってしまった。11月始めのヘルシンキ杯では五位、先週のフランス杯では9位と落ち込んだ。

ボーヤンは、この秋の大会にあまり期待をしていなかった。メディアからのプレッシャーと地理的な問題で高いパフォーマンスが出せなかったからだ。

始まりは夏。中国のスケート連盟が突然、ボーヤンがトロントブライアン・オーサーコーチのチームに移籍すると発表した。このことはボーヤンの頭を打ちつける衝撃的なことだった。

フランス杯の後、通訳を通してこうコメントした。「僕は、メディアや多くの友達からのすごいプレッシャーを感じていた。プレッシャーに勝てなかったんだ。」
「でも、今はそれを言うべき時じゃないと思う。僕は、僕の周りで何があったかではなくて、競技会で僕が何をしたかを知って貰いたいから」

その後すぐ、ボーヤンが中国に残ることが発表された。

今年、ボーヤンのGPシリーズに参加するための旅程は、両方とも遅れた。ヘルシンキに向かう時は彼のチケットにある名前がパスポートの名前と違っていたのだ。

「フランスへ向かう日に、僕はまだVISAを貰えていませんでした。だから初めは、翌日にフライトを変更しなければいけなかった。だけど翌日も、17:30時点でまだVISAが届いていなかった。フランス大使館は18時に閉まるのに。だからもう一度、翌日の夜中2時のフライトに変更しなければいけなかったんです。」

彼はフランスで木曜日にやっとリンクに入れた。既に大会が始まる前日になっていた。

「フランスでの練習は、むしろ調子は良かったんです。だけど明らかに、大会に向かう自信が欠けていました。三回のフライト変更を強いられたことは、僕のメンタルに何か問題を起こした訳ではないけど、完全にかき乱された感覚はありました。」

しかしその一方、グレノーブルでは彼の芸術的成長を見てとることができた。

「試合の後、振り付け師のローリー・ニコルとゆっくり過ごす事ができました。どんなことを競技会で表現できるかを話し合って。彼女は、僕にハッピーなスケーターになりなさい、ハッピーなボーヤンになりなさいって言ってくれて、僕に自信を持たせてくれました。」

彼は、彼自身のこれまでについて、バレエの経験やチェンとのことも少し話してくれた。

「子供の頃はバレエが得意でした。バレエやラテンダンス、ジャズもやっていました。スケートを本格的に始めた頃、僕は背が低くて、ジャンプを学ぶためにバレエのことを忘れる必要がありました。ジャンプに集中する必要があって、その時がバレエを忘れた時だったと思います。」

「ダンスに立ち返って、今僕は、昔理想だと思っていたスケーターに近づけたと思います。フラメンコの先生も自分でお願いして動きを教えてもらっています。芸術性を高めるためにショーやTVビデオもよく見ています。」